ぐっばい喘息
2010年10月中旬。
ボディートークのセミナー『基礎part1&2(旧モジュール1&2)』を初受講しました。
4日間の受講を終えた翌日から、我が家の生活は一変。さまざまな方々が我が家を訪れ、ボディートークを受けてくださる、という流れがやって来ました。
初受講から翌年3月の試験までの約5ヶ月間、友人や同僚のみなさんのクチこみで、多くの方々がセッションにお付き合いくださいました。みなさんには、今も心から感謝しております。
その中でも、とにかく連日練習に付き合ってくれていたのが夫でした。
初めは「練習台としてからだを貸してあげる。」というスタンス。実はセッションの効果も、それほど期待していたわけではなく・・・。
ところが、日を追うごとに夫の体調は改善され、セッションを始めてから約3ヶ月後には長年の持病を克服するに至りました。
それから2年以上経ちましたが、夫は今も変わりなく元気です。
夫の持病は『喘息』。
幼少期は重い小児喘息の発作を繰り返していたため、小学校が併設されている病院で寮生活を送っていた時期もありました。
青春時代(笑)は喘息の発作は治まっていたので、本人も喘息は完治したと考えていたようです。
ところが就職した20代前半。喘息の大発作が再発し、入院。
その入院から約30年間、夫は気管支拡張薬を切らすことなく手元に置き、少しでも症状が現れると薬で症状を抑える、ということを繰り返してきました。
私たちは、この持病が完治すること・薬を手放すことはもうないだろうし、大発作が起きないよう上手にコントロールしながらこの病気と付き合っていくものと考えていました。
それが・・・
ボディートークセッションの練習を始めた初日。まず【体の部分ー右胸気管支】に焦点が当たりました。予告なしに、いきなり核心部分へ・・・。
その後も、肺や気管支、心臓、胆のう、腎臓などの内臓や体の部分、呼吸に関わるさまざまな筋肉(知らなかった筋肉もたくさんありました)、腎臓のリンパ循環、水和、相互部位、アレルギー、細胞修復、許可、ヴィヴァックス、親元を離れていたときの不安、点滴の針の恐怖・・・セミナーで学んだことが次から次へとバランスされていきました。
とにかく私は、習いたてのテクニックを覚えることに意識が向いていたので、導かれるリンクの意味もわからないまま、ただ無心にセッションをしていたと思います。
そして、約3ヶ月が過ぎたある日。
「薬が無くなりそうだけど、今回は受け取りに行かない。もう大丈夫だと思う」
突然、夫が私に宣言してきました。
喘息はもう治ったと、自分にはわかるというのです。
30年来お付き合いしてきた薬を手放すときが来るとは!
手放すその理由が、「自分のからだがそう感じるから」!
それきり我が家には気管支拡張薬はありません。
今は、日常的にはボディートークアクセス(夫もアクセス受講しました!)、必要時にはフルセッションを活用しながら、本人の自然治癒力のみで喘息をコントロールしています。
練習セッションとはいえ、確かに夫の体調は改善していきました。
また私は、一つの病気が回復するため、これほど多岐に渡る項目が関連していることを学ばさせていただきました。
それ以降も私の学びは続いていますが、誰もが持っている天性の知恵(インネイトウイズダム)への信頼は変わらないどころか、ますます強くなっていることを感じています。
『それぞれの朝』
photo by Akiko Tsujino
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